みなさんこんにちは!
今日は娘の高校受験について
お話ししようと思います
このブログの読者様の仲にも
同じ経験をされた方
もしくは来年、再来年に
高校受験を控えた方
いろいろだと思いますが
あくまでぼくが経験したこととして
お読みいただければ幸いです
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初めに
このブログではまだお伝えできていませんでしたが
娘は無事
公立の志望校に合格することが出来ました!
ホントここまで長かったし
ぼくも奥さんも
なんとなく燃え尽きた感があります
振り返れば
中学2年の段階では
まだ自分の進路や
行きたい高校のビジョンが
全然なかった娘でした
このままでいいのだろうか?
という気持ちと
プレッシャーを掛けたくないという気持ち
それからまだ大丈夫だろうという気持ちが
一致してしまい野放し状態になっていた気がします
そして
中学3年になり
志望校はおいておいて
選択肢を少しでも持てるようにと
塾へ通わせることに
娘が通っていた塾では
定期的に面談があり
塾の先生と進学について
どう取り組むか?について
話し合いをします
中3の春
初めての面談の時に
娘の進学に対して
ビジョンがないことを
指摘されました
このころからでしょうか?
ぼくも奥さんも
娘の高校受験が目前に迫っている現実
に向き合わざるを得ないことを
理解しました
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その後、いろいろな高校の案内
パンフレット等を見て
娘と相談し
行きたい公立の志望校を
1校に絞りました
この時ぼくは
もうこの高校で決定かなと
方向性が決まったこと
その高校が娘に会っていそうだったことから
いよいよ戦いが始まるなと
サポート体制に入ったのを覚えています
話はそれますが
ぼくは高校へはスポーツの推薦で進学し
大学は行っていないので
受験という物自体
経験がありません
そのため奥さんの経験と
娘の周りの動向から
大人としての意見を言うことしかできませんでした
話を戻しますね
状況が変わったのは
秋ごろ..
娘から
志望校を変えたいという話を
されました
この時すでに
志望校の見学も終え
一回目の進路希望調査も
終わった段階だったと思います
ぼくは一瞬戸惑いましたが
本人の意向は尊重するのが
マイルールなので
快くOKしました
変更した高校というのは
それまでの志望校とは違い
なんと工業高校です
とはいえ
娘が志望する科というのは
産業デザイン工学科と言って
それまでの志望校とは違い
よりリアルにデザインを学び
就職につながっていく高校のようで
決め手というのが
部活だったようです
その部活というのが陶芸部
実はうちの奥さんは
まだ子供たちが幼いころ
隣の市の連絡所の職員として
働いていたのですが
とてもアットホームな職場で
その地域が陶芸が盛んだったこともあり
娘を連れて
陶芸家さんの窯へ行ったり
陶芸体験に参加していたのです
三つ子の魂百までとは
よく言ったもので
その時の経験が
現在の興味につながっていたのです!
この決断には
ぼくも奥さんも
正直びっくりでしたが
この時ばかりは
娘も切り替えが早く
すぐさま学校、塾
関係各所に意向を伝えたということでした
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冬にはこの志望校の
卒業発表会があり
見学に行きましたが
なかなか面白い高校で良かったです
明確に志望校が決まってからは
時間があっという間に過ぎていきました
塾の先生からは
学力的には問題なさそうといわれても
学校のテストでは
思うような点が取れなかったり
提出物が遅れて内申の点を
取りこぼしたり...
とにかく時間だけが
一人歩きをしているかのように
1週間、1か月が
信じられないほど早い
加えて息子のサッカーの昇格するしないの
こともあり
なにか手を打たないとと思っても
ただ時間だけが過ぎていき
娘に対しては
最低限の助言しか
出来なくて
あとは娘の頑張りに任せることしかできていませんでした
こういう時の子供というのは
根拠のない自信家に見えますよね?
なにも実績を残しているわけでもないのに
意外とドンと構えていたり
焦ってほしいのに
楽に構えていたり
それもこれも
本人からすれば
当たり前の行動で
当事者じゃない親のほうが
焦っているんでしょうね?
こういった部分も
いい勉強になりました
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子供の成長は
思ったより早くて
親であるぼくたちは
子ども扱いしすぎているんでしょうね
特にうちの子たちに関しては
思いを言語化するのが
下手なだけで
ある程度のビジョンや
肌感覚を身に着けているのだと思います
寂しい気持ち半分
うれしい気持ち半分
なんだか複雑な気持ちですが
これを体感したのは
儲けものだと思います
娘は春から高校生となり
通学も電車になるのですが
きっと立派に3年間通ってくれるでしょう
今も毎日
高校の制服や
準備のために購入したものが
家に届き
着々と準備が進んでいます
つい先日まで
支えがないと
何もできなかったはずの娘が
今では
自分の進路を自分で決める年齢になりました
あと3年もすれば
また新たな進路を自分で決めて
自分で進んでいくのでしょう
ぼくができることは
経験したことを伝えるだけ
決めるのは娘自身
3年後の娘は
どんな決断をするんでしょうね?
いまから楽しみです
ではまた!